54戦54勝の伝説「キンチェム」の血は今も生きている――150年続く子孫と現代競馬への系譜

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2026.08.31

競馬史には「無敗馬」と呼ばれる名馬が何頭もいます。

しかし、その中でも別格の数字を残しているのが、19世紀ハンガリーの名牝Kincsem(キンチェム/キンツェム)です。

その戦績は、

54戦54勝。

一度も負けることなく競走生活を終えました。

しかもキンチェムの物語は、54戦無敗だけでは終わりません。

繁殖牝馬となったキンチェムの血は150年近くにわたって受け継がれ、21世紀のヨーロッパ競馬にも残っています。

その代表例の一頭が、英2000ギニー、英ダービー、愛ダービーを制したCamelot(キャメロット)。

さらにドイツでは、Windstoss、Weltstarという2頭のドイツ・ダービー馬へとキンチェムの牝系がつながっています。

今回は、

を整理してみます。


目次

  1. キンチェムは「種牡馬」ではなく伝説の牝馬

  2. キンチェムが残した子供は5頭

    1. Budagyöngye
    2. Olyan Nincs
    3. Talpra Magyar
    4. Kincsőr
    5. Kincs
    6. Kincsem
    7. Budagyöngye
    8. Furcsa系
    9. Polygamy
    10. Camelot
    11. Kincsem
    12. Olyan Nincs
    13. Szende
    14. Tempete
    15. Winnica
    16. Wellenspiel
    17. Windstoss
    18. Weltstar

キンチェムは「種牡馬」ではなく伝説の牝馬

まず押さえておきたいのが、キンチェムの性別です。

Kincsemは牡馬ではなく牝馬です。

1874年にハンガリーで生まれ、

父はCambuscan、
母はWaternymph、
母父はCotswold。

そして競走馬として残した成績が、

54戦54勝。

ハンガリー郵政やハンガリー農業博物館などの公的資料でも、この54戦54勝という記録が紹介されています。

競走生活は1876年から1879年までの4シーズン。

2歳時は10戦10勝。

3歳になるとハンガリーのクラシック競走だけでなく、オーストリア・ダービーなどにも勝利しました。

さらに1878年にはイギリスへ遠征。

Goodwood Cup(グッドウッド・カップ)

を勝利すると、その後フランスへ渡り、

Grand Prix de Deauville

も制覇。

ドイツではGrosser Preis von Badenを1877年から1879年まで3連覇しました。

現在のようなG1・G2・G3というグレード制度が存在する以前の時代なので、単純に「G1何勝」と比較することはできません。

それでも、中欧だけでなくイギリス、フランス、ドイツまで遠征しながら一度も敗れなかったという事実だけで、その異常な強さが分かります。


キンチェムが残した子供は5頭

競走生活を終えたキンチェムは繁殖牝馬となります。

確認できる直仔は全部で5頭。

Budagyöngye

1882年生まれ・牝馬
父Buccaneer

Olyan Nincs

1883年生まれ・牝馬
父Buccaneer

Talpra Magyar

1885年生まれ・牡馬
父Buccaneer

Kincsőr

1886年生まれ・牡馬
父Doncaster

Kincs

1887年生まれ・牝馬
父Doncaster

この5頭の中から、キンチェムの血は大きく枝分かれしていきます。

特に重要なのが、

Budagyöngye

Olyan Nincs

Talpra Magyar

の3頭です。


① Budagyöngye――母を継いだダービー馬

キンチェム産駒の中でも、競走成績で特に目立つのがBudagyöngyeです。

父はBuccaneer。

Budagyöngyeは牡馬を相手に、

Deutsches Derby(ドイツ・ダービー)

を制しました。

母キンチェムほどの無敗馬ではありませんでしたが、クラシック級競走を勝利。

そしてBudagyöngyeの本当の重要性は、繁殖牝馬になってから現れます。

その娘Furcsaから伸びた牝系が、100年以上の時間をかけてイギリス競馬へとつながっていくからです。

その先に登場するのが、

Camelot。

キンチェムとキャメロットをつなぐ代表的な母系は、

Kincsem
↓
Budagyöngye
↓
Furcsa
↓
Farsang
↓
Balkiralyne
↓
Ukraine
↓
Crimea
↓
……
↓
Tarfah
↓
Camelot

という流れになります。

血統研究では、キンチェムはキャメロットの17代母にあたるとされています。


② Camelot――キンチェム牝系から誕生した現代の大物

**Camelot(2009年生まれ)**は、

父Montjeu
母Tarfah
母父Kingmambo

という血統。

競走馬時代には、

を勝利しました。

特に3歳時には、

2000ギニー → 英ダービー → 愛ダービー

を制覇。

通算成績は10戦6勝。

英ダービーでは5馬身差の圧勝を演じています。

さらに種牡馬になってからも成功。

2024年にはEuropean Champion Sireとなり、2026年時点では世界のGroup/Grade1勝ち馬を多数送り出す有力種牡馬となっています。

つまりキンチェムの牝系は、19世紀の歴史的名牝の名前が単に古い血統表の奥に残っているだけではありません。

約150年後に、

英クラシックを制する大物牡馬を生み、その馬がさらにトップ種牡馬になるところまで続いた

ことになります。

これは非常に興味深いポイントです。


③ Olyan Nincs――ドイツ競馬へ残ったもう一つの大牝系

もう一頭、キンチェムの子孫を語るうえで欠かせないのがOlyan Nincsです。

Olyan Nincsは父Buccaneer。

競走馬としては、

Hungarian St Leger

を勝利。

そして繁殖牝馬としてSzendeを残しました。

このSzendeから、

Tempete
↓
Orsza
↓
Winnica

と牝系が続きます。

特に重要なのがWinnica。

1918年生まれの牝馬で、1922年にドイツへ輸入されました。

ここからドイツで非常に重要な「W」の牝系が形成されていきます。

その系譜は、

Kincsem
↓
Olyan Nincs
↓
Szende
↓
Tempete
↓
Orsza
↓
Winnica
↓
……
↓
Well Known
↓
Wellenspiel

へと続きます。


④ Wellenspiel――2年連続ドイツ・ダービー馬を産んだ名繁殖牝馬

この牝系から21世紀に登場したのが、

Wellenspiel(2008年生まれ)

です。

父Sternkoenig、母Well Known。

Wellenspiel自身以上に注目したいのが、その繁殖成績です。

最初の産駒が、

Windstoss

2頭目が、

Weltstar

でした。

そして驚くべきことに、

Windstossは2017年ドイツ・ダービーを勝利。

Weltstarは翌2018年ドイツ・ダービーを勝利しました。

つまりWellenspielは、

最初の2頭の産駒から、2年連続でドイツ・ダービー馬を出した

ことになります。

Windstossはドイツ・ダービーだけでなくPreis von Europaも勝利。

2018年のCoronation Cupでは、当時ヨーロッパのトップホースだったCracksmanの3着にも入っています。

キンチェムから約140年後。

その直牝系から、再びドイツ・ダービー馬が誕生したことになります。


種牡馬として血を伝えたTalpra Magyar

キンチェムの血は牝系だけではありません。

直仔の牡馬Talpra Magyarも、種牡馬として重要な役割を果たしました。

ただしTalpra Magyarの競走成績については史料によって記録が異なります。

古い資料には「未出走」とするものがある一方、近年の研究では当時の競馬紙などをもとに「23戦2勝」と再構成されています。

このため競走成績については断定に注意が必要です。

一方、種牡馬として成功したことについては複数の資料が一致しています。

代表産駒が、

Tokio。

Tokioは、

オーストリア=ハンガリー三冠

を達成したとされる名馬。

さらにGrosser Preis von BadenやGrosser Preis von Berlinなども勝利しました。

ほかにもTalpra Magyarは、

Hut Ab

Xamete

などクラシック級の馬を送り出しています。

ただし、この父系は現在の世界的な主要サイアーラインとしては残りませんでした。

結果として、現代までキンチェムの血を強く残したのは、牡系よりも牝系だったと考えるのが妥当です。


キンチェムの血統がすごい本当の理由

キンチェムというと、どうしても

54戦54勝

という記録ばかりが注目されます。

もちろん、それだけでも競馬史上屈指の存在です。

しかし血統の歴史まで追っていくと、別の凄さが見えてきます。

キンチェムの子孫には、

Budagyöngye――ドイツ・ダービー
Tokio――オーストリア=ハンガリー三冠
Hut Ab――Preis der Diana
Polygamy――Epsom Oaks
Camelot――2000 Guineas・Epsom Derby・Irish Derby
Windstoss――Deutsches Derby
Weltstar――Deutsches Derby

と、時代も国も異なるクラシック級勝ち馬が点在しています。

19世紀のハンガリーから始まり、

オーストリア、ドイツ、イギリス、そして現代ヨーロッパ競馬へ。

途中には二度の世界大戦もありました。

それでも母から娘へと牝系が受け継がれ、21世紀まで生き残っています。

ここにキンチェム血統の最大の魅力があります。


ただし「キンチェムの能力が現代馬にそのまま遺伝した」とは言えない

血統を語るうえで、注意しなければならない点もあります。

たとえばCamelotは、キンチェムから約17母系世代離れています。

したがって、

「Camelotが強かったのはキンチェムの能力を受け継いだから」

と直接結論づけることはできません。

世代を重ねれば常染色体上の特定祖先の遺伝的寄与は非常に小さくなります。

組換えによって、遠い祖先から常染色体DNAをまったく受け継いでいない可能性もあります。

母から娘へ基本的に受け継がれていくミトコンドリアDNAについては別ですが、それだけで競走能力を説明することもできません。

したがってキンチェムの現代的価値は、

「キンチェムの強さそのものが150年間遺伝した」

という話ではなく、

「キンチェムを祖とする優秀な牝系が150年間存続し、その途中から何度もクラシック級競走馬が誕生した」

ことにあります。


キンチェムの子孫で特に覚えておきたい馬

最後に、系譜を簡単に整理します。

Kincsem

54戦54勝の伝説的名牝

↓

Budagyöngye

ドイツ・ダービー馬

↓

Furcsa系

長く牝系を継承

↓

Polygamy

Epsom Oaks勝ち

↓

Camelot

2000 Guineas
Epsom Derby
Irish Derby


もう一方が、

Kincsem

↓

Olyan Nincs

Hungarian St Leger勝ち

↓

Szende

↓

Tempete

↓

Winnica

1922年ドイツへ輸入

↓

Wellenspiel

↓

Windstoss

2017年ドイツ・ダービー

Weltstar

2018年ドイツ・ダービー

という流れです。


まとめ――「54戦無敗」だけではないキンチェムの伝説

Kincsemは1874年にハンガリーで生まれ、54戦54勝という信じられない成績を残しました。

しかし彼女の物語を血統まで追いかけると、54勝目で終わっていないことが分かります。

5頭の直仔から血は枝分かれし、

Budagyöngyeの系統からはCamelot。

Olyan Nincsの系統からはWellenspiel、Windstoss、Weltstar。

Talpra Magyarからは中欧三冠馬Tokio。

と、時代を超えて大物が登場しました。

特に興味深いのは、キンチェムから100年以上経過した20世紀後半から21世紀にも、

英オークス、英ダービー、ドイツ・ダービーといったクラシック競走の勝ち馬が、この牝系から生まれていることです。

54戦54勝。

それだけなら「19世紀に存在した伝説の名馬」で終わります。

しかしキンチェムの場合、その血統を150年後まで追跡できる。

そして現代競馬の第一線に、その子孫の名前が再び現れる。

「無敗の名牝」であると同時に、「150年続く世界的牝系の始祖の一頭」。

そこまで知ると、キンチェムという馬の見え方は大きく変わってくるのではないでしょうか。

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